野口体操とは
野口三千三と野口体操教室 野口体操教室は、野口三千三(1914〜1998)が主宰した生涯唯一の教室である 1949年 東京芸術大学で教鞭をとることとなった野口は、岡倉士朗(演出家)と出合う。岡倉はスタニスラフスキー(モスクワ芸術座・演出家)の演技システムを日本に紹介し、「劇団民芸」「山本安英とぶどうの会」で実践していた。 野口と岡倉は“表現するからだ”という点で共感し、影響を受け合い、その交流はそれぞれの分野の中で発展して行った。 1964年 演劇界の熱い要請を受けて野口体操教室が誕生した。 野口三千三50才の時である。 以降 野口体操教室は野口三千三の研究室であり実験室となった。 1972年 その成果を、処女作「原初生命体としての人間」(三笠書房)として発表。 1977年 「野口体操・からだに貞く」(柏樹社) 1978年 「野口体操・重さに貞く」(柏樹社)を発表。 野口の身体哲学に基いた野口体操は、理論と実技の一致こそ真髄とする。 理論はからだの動きで確められ、からだの動きが理論を深めて行った。 野口体操はこの教室を足場として創り上げて行ったのである。 野口は亡くなる直前まで、この教室で自らの体操を探りつづけた。 師亡き後、野口に40数年に亘り直接教えを受けた者たちによって受け継がれ、その理論と実践は現在も継承されている。 野口体操教室代表 寺島 康子 岸 昭代 野口 三千三( のぐちみちぞう ) (1914〜1998) 群馬県出身 1934年 群馬師範学校(現在の群馬大学教育学部)卒業。 1935年 中学校の師範学校教員國検定試験を受け、全国最年少最高点で合 格。 1944年 国立東京体育専門学校(現在の筑波大学)に助教授として着任する。 1949年 東京芸術大学に助教授として着任する。 1964年 野口体操教室を主宰する 1978年 朝日カルチャーセンターで、野口体操の指導を始める。 1979年 東京芸術大学教授となる。 1982年 東京芸術大学退官。名誉教授となる。 1998年 肺炎のため死去。 野口三千三の著書 「原初生命体としての人間」 (初版 三笠書房 1972、 増補改訂版 同時代ライブラリー 岩波書店 1996、 現代文庫 岩波書店 2003) 「野口体操・からだに貞(き)く」 (初版 柏樹社 1977、 春秋社 2003) 「野口体操・重さに貞(き)く」 (初版 柏樹社 1978、 春秋社 2003) |